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2006年9月23日 (土)

NO.52「の」のつく元気になった洋画「野のユリ」

「野のユリ」(ノノユリ)

<元気コメント>
 一見バッドタイミングだが、きままな自由人でも、信念を持つとこれが神のなせる御わざにまで変っていく。
 私の場合、ふだんは宗教というものをほとんど意識していない生活のはずなのに、彼らの互いのベースにある信仰がうらやましくさえ思えるのはなぜだろうか。

<あらすじ>
 キャンプ用具を積み込んだステーション・ワゴンを運転して気楽な旅を続けている黒人ホーマー(シドニー・ポワチエ)はアリゾナ砂漠のはずれでエンストをおこし、荒地を耕す東独を亡命してきた、修道女たちとあった。
 修道女たちは、この荒地に教会を建てるという無謀な望みを持っていた。

<データ>
「野のユリ」(Lilies of the Field)
製作:1963年 アメリカ ユナイテッド・アーチスツ配給
監督:Ralph Nelson ラルフ・ネルソン
原作:William E. Barrett ウィリアム・E・バレット
出演:Sidney Poitier シドニー・ポワチエ  (Homer Smith)
   Lilia Skala リリア・スカラ  (Mother Maria)
   Lisa Mann リザ・マン  (Sister Gertrude)
   Isa Crino アイサ・クリノ  (Sister Agnes)
   Francesca Jarvis フランセスカ・ジャービス  (Sister Albertine)

・ウィリアム・E・バレットの原作を「八十日間世界一周」(アカデミー賞)のジェームズ・ポーが脚色、TV出身のラルフ・ネルソンが製作・演出したヒューマニズムドラマ。
撮影は「風と共に去りぬ」(アカデミー賞)のアーネスト・ホーラー、音楽は「マンハッタン物語」のジェリー・ゴールドスミスが担当した。
出演は「長い船団」のシドニー・ポワチエ、TV「プレイハウス90」のリリア・スカラ、フランセスカ・ジャービス、アイサ・クリノ、リザ・マン、パメラ・ブランチ、「ティファニーで朝食を」のスタンリー・アダムスなど
↓「野のユリ」のDVD

参考:シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier、1927年2月20日-)
(生年月日に諸説)
 アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の映画俳優、監督。
 黒人俳優としての先駆者的存在のひとりで、男優としては初めてアカデミー主演男優賞を授賞した。
 両親はバハマでトマト栽培で生計を立てる農夫であった。
 出荷先マイアミで母が胎児を孕み、そこで生まれたのがポワチエである。
 15歳のとき、生活の事情で単身で再び渡米。
 あらゆる種のアルバイトを転々とし、年齢を詐称して軍隊に入隊。
 生年月日に諸説があるのはこのためである。

(『野のユリ』でアカデミー主演男優賞授賞)
 除隊後は、アメリカン・ニグロ・シアターに入団し、俳優を志し始めるが、故郷バハマの訛りが取れなかったため、裏方での仕事に終始していたといわれる。
 1945年頃に映画デビューを飾り、1946年には黒人俳優だけの舞台でブロードウェイに初出演。
 1955年『暴力教室』の生徒役で注目されてからは知名度が上がり、続く58年『手錠のままの脱獄』では主演のトニー・カーティスと共にアカデミー主演男優賞にノミネートされるなど、その後は順調にキャリアを重ねた。
 この時代、黒人俳優としてのイメージや全般的な扱われ方は、労働的な端役や多国籍な悪役など不本意なものであり、ポワチエが映画界に入った時期もいまだにこうした気風が抜けきらぬときであった。その中にあって、黒人俳優の最古参の一人とも言える人物で、当時人気を博していたウディ・ストロードのようなパワフルで逞しい肉体を擁したアクション系の黒人俳優の個性が定着しつつあったなかで、ポワチエはあえて肉体のパワーではなく演技と「知」のイメージでの活躍を意識したという。
 こうした一見、地道な個性が1963年の社会派作品『野のユリ』におけるアカデミー主演男優賞授賞という歴史的快挙に結実するのである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

<「シドニー・ポワチエ」と言えば>
★シドニー・ポワチエとアカデミー名誉賞
(「いつも心に太陽を」)
 そのまま主演級の俳優に成長し、それまでのハリウッドにおける黒人俳優のイメージを一変させた。
 1968年招かれざる客iconicon、『夜の大捜査線』など社会的かつ人種差別問題を真正面から提起する重い題材に挑みつづけ、多くのファンの支持を獲得した。
 こうして、黒人俳優というひとつの道を開拓したのである。
 同年、かつて生徒役で登場した『暴力教室』のリメイク版いつも心に太陽をに主演。
 サッカレー先生役で登場し、日本でも広く知られた。

(バハマ駐日大使を歴任)
 70年代以降はポール・ニューマンらとプロダクションを設立し、監督業にも挑むが、公民権運動が盛んな時代になるとポワチエの個性は過去のものとなっていったかのように影をひそめてゆく。
 その間、彼を継承するかのように多くの黒人俳優が台頭。
 その第一人者がデンゼル・ワシントンであり、いつしかスクリーンでは違和感なく黒人ヒーローが活躍するようになった。
 2001年に贈られたアカデミー名誉賞は、こうしたポワチエの功績に対する敬意を象徴している。
 近年の主な代表作は1988年の『リトル・ニキータ』や『影なき男』でのタフガイ刑事、豪華スターが結集した1997年『ジャッカル』でのFBI副長官役、2001年『希望の大地』での知的で温厚なレンガ職人などが名高い。
 また97年には大型TVドラマ『Mandela and de Klerk(日本未公開のため原題)』で、ネルソン・マンデラを好演し、話題となった。
 1950年に結婚、4人の娘がいるが1965年に離婚。1976年には女優のジョアンナ・シムカスと再婚し二女がいる。
 バハマ駐日大使を歴任した経験もあり、人望を買われて政界への進出を請われたが、本人は拒んだともいわれる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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【黒澤ファンさんのオススメ「野良犬」】
 まだ戦後間もない頃に刑事や銃を題材にしたこのような映画をよく描けたと思います。
 きっと黒澤監督ならではの事だと思います。(黒澤ファン)

 ☆☆黒澤ファンさん、お便りありがとうございました。
  きっと黒澤監督の映画にお詳しい方なのでしょうね。  
  また黒澤監督の映画のお便りをお待ちしております。(映画で元気)
「野良犬」(ノライヌ)
製作:1949年 
監督:黒澤明 クロサワアキラ
出演:三船敏郎 ミフネトシロウ  (村上五郎刑事)
   志村喬 シムラタカシ  (佐藤刑事)
   清水元 シミズゲン  (中島主任警部)
   永田靖 ナガタヤスシ  (阿部捜査主任)
   河村黎吉 カワムラレイキチ  (スリ係老刑事市川)
・「不良少女(1949)」「風の子」の本木莊二郎の製作で、黒澤明の原作を新人菊島隆三が脚色。演出は「静かなる決闘」の黒澤明で撮影は「青い山脈(1949)」の中井朝一の担当である。出演者はストーリーの関係で大勢を動員「酔いどれ天使」「静かなる決闘」の三船敏郎、志村喬をはじめ、俳優座の出演をはじめ、第一協団、バラ座の一部参加、井田綾子は松竹少女歌劇研究所員より抜てきされた。
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コメント

コメントありがとうございました。TBは一つ前の記事につけるべきでした。ちょっと失敗。
『の・ようなもの』は従来の映画のパターンを外しまくって作った、面白くも摩訶不思議な雰囲気の映画でした。でも今観たらどうなのかな~?

投稿: 丹下段平 | 2006年9月24日 (日) 21時48分

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前の記事もそうだったが、この映画も観たのは渋谷だった。渋谷で映画を観ることは少ないのだが、映画祭他イベント等が多く、想い出に残る事が多い。 この映画も今は無き渋谷駅前の東急文化会館6階にあった東急名画座(当時の名称)で観た。しかも初日に! 何せ1981年9月12日の出来事である、詳しくなんて覚えていない。ただ、この映画は画期的だと感じたことは覚えている。この頃の日本映画で、これだけ軽~~~いタッチの映画が作られた事が奇跡的に思えた。シロート感丸出しの、あまりにも等身大な8mm映画的な作品は「ありえな... [続きを読む]

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