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2006年1月27日 (金)

NO.18「剣客商売」

「剣客商売」 (けんかくしょうばい、ドラマ)

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<元気コメント>
 このドラマを見ていると江戸という時代の中を楽しむことができる。人々の行来、食生活、人情、情痴、生き様が混じりあい、ほっとした瞬間を見出した時、ふと忙しい中に明日への活力が湧き出してくるのである。 
 
<あらすじ>
  無外流の老剣客、秋山小兵衛(あきやま こへい)を主人公とし、小兵衛と妻おはる、息子の大治郎、女性剣客の佐々木三冬らが、江戸を舞台に様々な事件に遭遇し活躍する。重要なサブキャラクターの一人として老中の田沼意次が登場する。
剣客商売一 剣客商売
剣客商売二 辻斬り
剣客商売三 陽炎の男
剣客商売四 天魔
剣客商売五 白い鬼
剣客商売六 新妻 
剣客商売七 隠れ蓑
剣客商売八 狂乱
剣客商売九 待ち伏せ
剣客商売十 春の嵐
剣客商売十一 勝負
剣客商売十二 十番斬り 
剣客商売十三 波紋
剣客商売十四 暗殺者 
剣客商売十五 二十番斬り 
剣客商売十六 浮沈 
黒白 剣客商売 番外編 (上)(下)
ないしょ ないしょ 剣客商売 番外編
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

<データ>
製作:1998年10~12月までフジテレビ系で放映
原作:池波正太郎
出演:藤田まこと, 渡部篤郎,

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参考:池波正太郎(いけなみ しょうたろう、1923年1月25日 - 1990年5月3日、大正12 - 平成2)
日本人の小説家。下谷西町小学校卒。東京都台東区の下町・浅草に生まれ、幼い頃から映画を好んだ。長じて後長谷川伸に師事。兜町の株式仲買店の店員を経て、東京都職員の傍ら脚本家・小説家となり、新国劇などを中心に活躍。
1960年、『錯乱』で第43回直木賞を受賞し、東京都職員を辞し本格的な作家生活に入った。以後『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表。江戸風の歯切れの良い文章や人情味溢れる作風が支持を得、自らが手を加えてドラマ化された作品も多い。美食家・映画評論家としても著名であった。急性白血病により急逝。
受賞歴
* 1955年 『太鼓』で第2回新鷹会賞奨励賞
* 1957年 『錯乱』で第43回直木賞
* 1972年 『殺しの四人』で第5回小説現代ゴールデン読者賞
* 1973年 『仕掛針』で第7回小説現代ゴールデン読者賞
* 1977年 『市松小僧の女』で第11回吉川英治文学賞・第6回大谷竹次郎賞
* 1986年 紫綬褒章
* 1988年 第36回菊池寛賞
主要作品リスト
* 鬼平犯科帳
* 剣客商売
* 仕掛人・藤枝梅安
* 真田太平記
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

参考:「剣客商売」ドラマ化
 1973年に山形勲の小兵衛と加藤剛の大治郎で東宝と俳優座が、1983年には中村又五郎の小兵衛と同じく加藤剛の大治郎で東宝と俳優座が、さらに1998年以降、藤田まことの小兵衛で松竹がテレビドラマ化し、いずれもフジテレビ系で放映され、いずれも同じ小兵衛の配役で何度か舞台化もされるほどの好評を博している。なお、池波が秋山小兵衛のモデルに中村又五郎を想定していたことは、池波本人が語っていたため有名である。
   2004年3月で第5シリーズ放送終了→フジテレビの放送解説 

参考:地図でみる剣客商売→小説に出てくる江戸時代の場所を地図で紹介
       剣客商売 彩色 江戸名所図会→小説のあらすじと江戸の地図を併せて紹介

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2006年1月21日 (土)

NO.17「クロコダイル・ダンディー」

「クロコダイル・ダンディー」

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<元気コメント>
 今まで生きてきたゆっくりと時間の流れる自然の世界から、目まぐるしい都会へ移ってきても、現代の鎖に縛られない自由な生き方にあこがれと元気をもらいました。

<あらすじ>
  NYの大新聞社の社主の娘で、その新聞社の花形記者として活躍するスー(リンダ・コズラウスキー)は、オーストラリアの奥地で何十匹ものワニと格闘の末に無事帰還したというマイケル・"クロコダイル"・ダンディー(ポール・ホーガン)に会うために現地へ飛んだ。そしてダンディーのパートナーであるライリー(ジョン・マイロン)に彼を紹介してもらったスーは、粗野ながらユーモアを理解し都会の人間にはない暖かさを持ったダンディーに好感を持ち、二人は早速、アドベンチャー記事を書くためオーストラリアの奥地へと冒険の旅に出た。途中、水牛が現われて立往生したり、カウボーイ気取りでカンガルー狩りをする男たちが出現したりしたが、ダンディーはそれらを催眠術を使ったり、銃で追っぱらってくれた。またスーが沼で水浴びをしていると突然、ワニが現われ襲われそうになるが、この時もダンディーが助けてくれた。やがて二人の間には愛が芽生えはじめ、スーは彼に「NYに来ない?」と誘った。そして--NYの空港にはスーの恋人でもある上司のリチャード(マーク・ブルーム)が迎えに来ていた。見るものすべてが初めてといった感じのダンディーは物珍しそうにキョロキョロし、それはホテルに投宿してからも変わらなかった。街に出たダンディーは人と車の洪水に驚きながら、持ち前の人なつっこい笑顔で行き交う人々に"グッダイ"と挨拶をかわした。しかし、殆どの人が知らん顔......。その夜の夕食時にリチャードと衝突したダンディーは街に出て陽気に飲み、ゲイと仲良くなったり、街娼のヒモにからまれて相手を殴り倒したりした。翌日もスーと街へ出た時にひったくりの強盗をやっつけ、またストリート・ギャングに襲われたりするが、ここでも逆に相手を脅し、そんなダンディーにスーはますます魅かれていった。スーの書いたアドベンチャー記事が評判となり社長主催のパーティーが催され、席上、リチャードが自らスーとの婚約を発表、出席者に祝福された。だが、スーの気持ちは何となくしっくりしなかった。翌朝、ダンディーはホテルを出てアメリカ放浪の旅に出た。スーはそのことを知るとすぐにダンディーのあとを追い、朝のラッシュで混雑する地下鉄のホームでダンディーを見つけ、そこにいる人々の協力もあってやっとダンディーに自分の気持ちを打ち明け、ふたりは強く抱き合うのであった。(goo映画案内より)

<データ>
「クロコダイル・ダンディー」
制作:1986年 オーストラリア 配給 : 20世紀フォックス
監督:ピーター・フェイマン(PeterFaiman) 
製作: ジョン・コーネル(John Cornell) 
原案: ポール・ホーガン(Paul Hogan) 
脚本: ポール・ホーガン(Paul Hogan)、 ケン・シャディー(Ken Shadie)、ジョン・コーネル(John Cornell) 
出演:ポール・ホーガン(Paul Hogan)-マイケル・"クロコダイル"・ダンディー
    リンダ・コズラウスキー(Linda Kozlowski)-スー・チャールトン
    ジョン・メイロン(John Meillon)-ウォルター・ライリー
    マーク・ブラム(Mark Blum)-リチャード・メイスン
    マイケル・ロンバード(Michael Lombard)-サム・チャールトン
・ オーストラリアの奥地で生活する"クロコダイル・ダンディー"と呼ばれる探検家がニューヨークへ来て巻き起こす騒動を描く。製作はジョン・コーネル、監督はテレビ出身でこれが劇場用映画第1作となるピーター・フェイマン、ポール・ホーガンの原案を彼とケン・シャディー、ジョン・コーネルが共同で脚本化、撮影はラッセル・ボイド、音楽はピーター・ベストが担当。出演はポール・ホーガン、リンダ・コズラウスキー、ジョン・マイロン、マーク・ブルームほか。ドルビー・ステレオ。日本版字幕は進藤光太、監修を明治大学の越智道生が担当(goo映画案内より)
 
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参考:ポール・ホーガン(PAUL HOGAN)
1940/10/8生まれ、出身 オーストラリア・シドニー
高校卒業後、職を転々としたが、テレビのタレント発掘番組でタップダンスをしながらナイフ投げをするという特技を披露し、人気になり、77年には「ザ・ポール・ホーガン・ショー」という番組を持つ。86年「クロコダイル・ダンディー」のミック・ダンディー役でゴールデン・グローブ主演男優賞獲得、脚本でもアカデミー賞脚本賞にノミネートされた。同映画の共演をきっかけにリンダ・コズラウスキーと結婚した。
出演作
1985年「クロコダイル・ダンディー」
1988年「クロコダイル・ダンディー2」
1990年「Mr.エンジェル/神様の賭け」
1996年「フリッパー」
2001年「クロコダイル・ダンディー IN L.A.」
(「海外映画俳優マガジン」より)

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参考:クロコダイル(ワニ)
オーストラリアには、南回帰線以北に2種類のワニが棲息している。川や渓谷の淡水に棲むのがフレッシュウォーター・クロコダイルで、小型でおとなしく、人間に危害を与えることはほとんどない。危険なのは河口近くの海水に棲息するソルトウォーター・クロコダイルだ。大きなものでは5メートル前後もあり、しばしば人間を襲う。とくにオーストラリア北部の熱帯雨林(レイン・フォーレスト)あたりでキャンプする時は要注意。直線を走ったら人間より素早く、楽々と追いついてしまう。おまけに頭も良く、キャンパーの毎日の行動を観察して水辺に寄ってきたところをガブリとやったりするのだ。
(「オーストラリアの野生動物たち」より)

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2006年1月13日 (金)

NO.16「国盗り物語」

「国盗り物語」(くにとりものがたり)

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<元気コメント>
 これ以上は落ちようがないところまできた時、そこからどのように這い上がるのか。知恵と工夫を働かせて人の中へ飛び込み、臨機応変に対応していく。生涯に13回も名前を変えた斎藤道三の生き方の中から学ばせてもらいました。 
 
<あらすじ>
斎藤道三編 :妙覚寺の法漣房は、松波庄九郎と名乗り、天下の主となる夢を持って寺を出ると、京の油屋・奈良屋をのっとり、莫大な資産を獲得した。だが彼は美濃にのぼり、土岐頼芸に仕える。かつては「知恵第一の法蓮房」と呼ばれた庄九郎は、策謀の限りを尽くして頼芸を追い出し、美濃を手中に入れる。名前がころころ変わる庄九郎は、出家して斎藤道三と名乗った。
織田信長編 :織田信長は道三の娘・濃姫と結婚した。道三の学識的な所を受け継いだのは明智光秀であり、革新的な所を受け継いだのは信長であった。道三は息子(正しく言えば頼芸の子)である義竜によって滅ぼされる。信長は義竜の子・竜興を破り、ついには京にのぼる。一方、信長に仕えるようになった光秀は、彼に敬服しながらも、家臣を使い捨てるように扱う信長に対して反感を持つ。それはやがて本能寺の変の因となっていく。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

<データ>
「国盗り物語」(くにとりものがたり)

製作:1973年NHK
演出:斎藤暁、村上佑二、伊豫田静弘
原作 :司馬遼太郎
出演: 平幹二朗、高橋英樹、近藤正臣、池内淳子
・天下の制覇を夢見た斉藤道三、野望半ばにして倒れた道三の遺志を継いだ織田信長と明智光秀。三人の武将を中心に、下克上の乱世を生きた人々の激しい葛藤を、豪華キャスト共演でダイナミックに描いた名作大河ドラマ。原作は司馬遼太郎の菊池寛賞受賞作。(「DVD NAVIGATOR」データベースより)

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参考:大河ドラマ(たいがドラマ)
  NHK が毎年、違うテーマで放映する時代劇ドラマシリーズである。主に歴史上の人物や事件などをテーマに、基本的に毎年1月から12月の1年間に49~50回を通して放映される。しかし実在しない人物が登場することも多く、また作品によっては主人公も架空の人物の場合もある。出演者は通常のドラマで主役級の俳優・女優が共演することが多く、これに名脇役と呼ばれる方々も登場するため、普段は見られない顔合わせもよく見られる。
 年末には総集編(ダイジェスト版、全部で3、4時間程度)も製作される。ただし作品によっては翌年に放送されたケースもある。また総集編は3回ないし4回に分けて放送されるが再放送はされない。第6作の「竜馬がゆく」までがモノクロ作品。通常は年間1作だが、1993年から1994年にかけては、第31作「琉球の風」が6ヶ月、第32作「炎立つ」と第33作「花の乱」がともに9ヶ月と短いシリーズが続き、この2年間は年2作品となった。視聴率は作品によって不安定であるが、戦国時代を扱った作品は安定していて、幕末を扱った作品は視聴率が取れない傾向にあると言われる。要因として、戦国時代のドラマはあまり流すことがなく、ほぼ大河の独壇場であるのに対して、幕末は民放でもよく放映される為、1年間見なくていいと思う人が多いと思われる。 NHK出版からの「大河ドラマ・ストーリー」や関連書籍も出版され、ビデオ・DVDなどソフト化もされている。
 なお、1970年代中期までの作品は全話見ることがほとんど不可能(映像が現存しても、総集編、クライマックスの回、あるいは最終回程度しか現存していない場合が多い。当時はVTRの録画が2インチ規格でテープが高価なうえ操作・編集も煩雑だったことなどから、番組の資料保管は安易に行えなかった)。全話のソフト化で最も古い作品は1978年制作の「黄金の日日」となっている。 全般的に前半はロケシーンが多く、中盤にクライマックスがあり、後半は登場人物も徐々に減少し(役の人物が死ぬため)、スタジオ撮影のシーンが多くなるのが特徴である。 第25作「独眼竜政宗」で主演の渡辺謙のように、番組での好演がきっかけで有名になる例も多く、また第34作「八代将軍吉宗」では徳川家重を演じた中村梅雀が、主役の西田敏行をしのぐ演技を披露し評判を呼んだこともある。
 合戦シーンなどではコンピュータグラフィックス(CG)を用いることも多くなっているが、出演者のスケジュールの都合により使用せざるを得ない場合も多いという。また「屋敷門の炎上」など、過去の作品で使用した場面が何度も使われるケースもよくある。 題材となる人物やテーマに所縁のある地方とタイアップする事も多い。 毎年秋に各地で開催される「大菊人形展」はこの大河ドラマをテーマにするケースが多い。 また、第45作「功名が辻」からはアナログ放送、NHKワールドプレミアムの放送では映像比率を14:9のサイズにて放送されている。 2006年1月には大河ドラマとしては初めて続編が製作、放送された。これは2004年「新選組!」のその後を描いた作品で、大河ドラマでは局長・近藤勇が主役だったが、続編「新選組!!」では、副長・土方歳三にバトンタッチし、彼の最期の一日を描いた。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
参考:大河ドラマ一覧

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2006年1月 6日 (金)

NO.15「黄色いリボン」

「黄色いリボン」(キイロイリボン、SHE WORE A YELLOW RIBBON)

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<元気コメント>
 夕陽が沈む中から自分の名前を呼ぶ声が・・・。一生を賭けた仕事が間もなく終ろうする時、人はどのように生きるべきかを考えさせてくれました。

<あらすじ>
 1876年。西部の白人達は、一斉蜂起したインディアン種族のために苦境に立たせられた。スタアク砦のブリトルス大尉(ジョン・ウェイン)は老齢のためあと6日で退役の身であったが、最後の奉公としてシャイアン族の掃蕩作戦を指揮することになった。亡き妻と息子の墓に別れを告げた大尉は、東部へ帰る隊長夫人(ミルドレッド・ナットウィック)とその姪オリヴィア(ジョン・ドリュウ)を護衛しつつ、タイリイ軍曹(ベン・ジョンソン)を先導として軍を進めた。しかし、2婦人が出発すべき駅馬車の宿駅はすでに焼き払われており、やむなく隊は砦に馬を返すことにした。オリヴィアをめぐって、若いコーヒル中尉(ジョン・エイガア)とペネル少尉(ハリー・ケリイ2世)の間には恋のさや当てが始まっていたが、1千に余るインディアンに追尾されていることが分かると、隊は個人の愛憎を捨てた。渡河点にコーヒル中尉を残して砦に引き揚げた本隊は、早速ペネル少尉を長として河に引き返した。隊員から餞別の時計を贈られた大尉は、従卒クィンカノン(ヴィクター・マクラグレン)を振切ってひとりカリフォルニアに旅立ったが、渡河点の隊員が気になって馬を返すと果して部下達は苦戦に陥っていた。大尉の作戦で隊はインディアン部落に夜討をかけ、馬を全部追払って敵を抗戦不能におとしいれてから、大尉は西へ去ったが、あとを追って来たタイリイ軍曹が携えてきたのは、彼を左官待遇でインディアン偵察官に任ずるという辞令だった。

<データ>
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製作:1949年 アメリカ セントラル配給
監督:ジョン・フォード(John Ford)
原作:ジェームズ・ワーナー・ベラ(James Warner Bellah)
出演:ジョン・ウェイン(John Wayne)-Cap.Brittles
   ジョーン・ドルー(Joanne Dru)-Olivia
   ジョン・エイガー(John Agar)-Lt.Cohill
   ベン・ジョンソン(Ben Johnson)-Tyree
   ハリー・ケリー・Jr(Harry Carey,Jr.)- (Lt.Pennell)
   ヴィクター・マクラグレン(Victor McLaglen) 
   ミルドレッド・ナトウィック(Mildred Natwick) 
   フランシス・フォード(Francis Ford)
・「幌馬車(1950)」と同じく、ジョン・フォードがメリアン・C・クーパーと組んだアーゴシイ・ピクチュア・プロダクションの1949年度色彩西部劇。サタディ・イヴニング・ポスト誌所載のジェームズ・ワーナー・ベラの原作を、「幌馬車(1950)」のフランク・S・ニュージェントと、「ジャングル・ブック(1942)」の潤色者で劇評価のローレンス・ストーリングスが共同脚色、ジョン・フォード(「幌馬車(1950)」)が監督している。撮影は新人のウィントン・ホッホとチャールズ・ボイル、音楽監督はルシアン・カイリエ。主演は「男性都市」のジョン・ウェインが老大尉に扮し、「幌馬車(1950)」の主要メンバーであるジョアン・ドルー、ベン・ジョンソン、ハリー・ケイリー・ジュニア、「アパッチ砦」のジョン・エイガー及び「男の敵」以来フォードお気に入りのヴィクター・マクラグレンが共演、他に、ミルドレッド・ナットウィック、ジョージ・オブライエン、アーサー・シールズ、マイケル・デュウガンらが助演する。ジョン・フォード&ジョン・ウェインのコンビで贈る騎兵隊シリーズ第2作。第22回アカデミー撮影賞受賞。騎兵隊シリーズ第1作は「アパッチ砦」(1948)第2作は「リオ・グランデの砦」(1950)と言われている。

参考:主題歌「黄色いリボン」
 主題歌「黄色いリボン」はあまりにも有名だが、そもそも恋人への愛の告白を謳ったアメリカ民謡。MIDIで聞ける「黄色いリボン」と黄色いリボンにまつわるお話は、「ドナドナ研究室 ファイルNo.009 黄色いリボン」で。
黄色いリボンの由来

参考:ジョン・ウェイン(John Wayne, 1907年5月26日 - 1979年6月11日)
 アメリカの俳優。「デューク」の愛称で呼ばれた。彼はアイオワ州ウィンターセットで生まれ、マリオン・ロバート・モリソンと命名された。しかし両親が彼の弟をロバートと名付けることを決め、彼はマリオン・マイケル・モリソンと名付けられた。一家は1911年にカリフォルニア州グレンデールに転居し、その地での隣人が彼を「ビッグ・デューク」と呼び始めた。彼はどこへ行くにも「リトル・デューク」と名付けられたエアデール犬を連れていたためである。彼は「デューク」を本名の「マリオン」より好み、残りの生涯その名を使用した。アメリカ海軍兵学校を卒業した後、彼は南カリフォルニア大学に入学した。そこで彼は伝説のコーチ、ハワード・ジョーンズの下フットボールに取り組んだ。しかしながら、海岸での水泳中に怪我が彼の運動競技経歴を奪った。彼は怪我の原因が明らかになった時のジョーンズの反応を恐れたと後に記している。
  大学在学中、ウェインは田舎の映画スタジオで働き始めた。ウェスタン映画のスター、トム・ミックスはフットボールのチケットと交換に夏の間の大道具係の仕事を彼に世話してやった。ウェインは大道具係からすぐに映画の端役に選ばれ、そこで監督のジョン・フォードとの友情を固めた。彼の最初のクレジット入り映画はラオール・ウォルシュ監督の『ビッグ・トレイル』であった。ウオルシュがアメリカ独立戦争での将軍、「マッド・アントニー」ウェインから取った「ジョン・ウェイン」の芸名を彼に与えた。ウェインとフォードの間の友情は彼らを多くの作品で共に働かせ、幾つかはウェインの代表作となった。ウェインは1928年の端役から始まり、続く35年間で『駅馬車』、『黄色いリボン』、『静かなる男』、『捜索者』、『荒鷲の翼』、『リバティ・バランスを射った男』と言ったフォードの映画20作以上に出演した。ウェインは西部劇や戦争映画において強く英雄的な役割を多く演じた。しかし彼はコメディ映画やNBCのコメディ『ラフ・イン』にピンクのウサギの着ぐるみで出演するなどユーモアの感覚も持ち合わせていた。彼は多くの戦争映画に出演し「アメリカの英雄」として賞賛されたが、現実には兵役には就かなかった。1940年に徴兵が復活し、1945年に第二次世界大戦が終了するまで彼はハリウッドに残って21作の映画に出演した。1941年の真珠湾攻撃当時彼は34歳で徴兵の該当年齢であったが、家族依存の理由で 3-A に分類され徴兵猶予を申請し受理された。これには国中の興味が集まり、後に 2-A に変更された。彼は多くの作品に出演したにもかかわらず、オスカーは1969年の『勇気ある追跡』での最優秀主演男優賞のみであった。彼は『硫黄島の砂』で最優秀主演男優賞、監督した『アラモ』で最優秀作品賞のノミネートを受けた。彼の制作会社は「バジャック」(Batjac)という名であったが、それは『絶海の嵐』での彼の役のミススペルである。ジョン・ウェインは1979年6月11日にカリフォルニア州ニューポートビーチで胃癌で死去し、カリフォルニア州オレンジ郡のコロナ・デル・マーにあるパシフィック・ビュー・メモリアル・パーク墓地に埋葬された。彼の癌の原因の一つとして考えられるのは、『征服者』の撮影がネバダ州核実験場の100マイル風下で行われたこととされる。
 彼は3回結婚した。妻はジョゼフィン・アリシア・シーンズ、エスペランザ・バウアー、パイラー・パレット。彼にはジョゼフィンとの間に4人、パイラーとの間に3人の子供がいた。最も有名なのはパトリック・ウェインである。彼の子供のうち1人を除いて全員が映画俳優となった。カリフォルニア州オレンジ郡のジョン・ウェイン空港は彼にちなんで命名された。一方、快楽殺人を犯したジョン(・ウェイン)・ゲイシーも、彼にちなんで名付けられたと言われる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より)

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