« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »

2005年12月30日 (金)

NO.14「キューポラのある街」

「キューポラのある街」(きゅーぽらのあるまち)
 
iconicon

<元気コメント>
 技術立国日本を支えたのは中小の町工場であるという。貧しさの中に見せる生きることへの喜びが私を支えてくれました。
 
<あらすじ>
  鋳物の町として有名な埼玉県川口市。銑鉄溶解炉キューポラやこしきが林立するこの町は、昔から鉄と火と汗に汚れた鋳物職人の町である。石黒辰五郎も、昔怪我をした足をひきずりながらも、職人気質一途にこしきを守って来た炭たきである。この辰五郎のつとめ
ている松永工場には五、六人の職工しかおらず、それも今年二十歳の塚本克巳を除いては中老の職工ばかり、それだけにこの工場が丸三という大工場に買収され、そのためクビになった辰五郎ほかの職工は翌日から路頭に迷うより仕方なかった。辰五郎の家は妻トミ、長女ジュン、長男タカユキ、次男テツハルの五人家族。路地裏の長屋に住んでいた。辰五郎がクビになった夜、トミはとある小病院の一室で男児を生んだが辰五郎はやけ酒を飲み歩いて病院へは顔も出さなかった。その後、退職の涙金も出ず辰五郎の家は苦しくなった。そしてささいなことでタカユキが家をとびだすような大さわぎがおこった。タカユキはサンキチのところへ逃げ込んだ。サンキチの父親が朝鮮人だというので辰五郎はタカユキがサンキチとつきあうのを喜ばなかった。そのうえ克巳が辰五郎の退職金のことでかけあって来ると、「職人がアカの世話になっちゃあ」といって皆を唖然とさせた。しかしタカユキが鳩のヒナのことで開田組のチンピラにインネンをつけられたことを知ったジュンは、敢然とチンピラの本拠へ乗り込んでタカユキを救った。貧しいながらこの姉弟の心のなかには暖かしい未来の灯があかあかとともっていた。やっとジュンの親友ノブコの父の会社に仕事がみつかった辰五郎も、新しい技術についてゆけずやめてしまいジュンを悲しませた。街をさまよったジュンは、トミが町角の飲み屋で男たちと嬌声をあげるのを見てしまった。不良の級友リスにバーにつれていかれ睡眠薬をのまされてしまったジュンは、危機一髪のところで克巳が誘導した刑事に助けられた。学校に行かなくなったジュンを野田先生の温情がつれもどした。やがて石黒家にも春がめぐって来た。克巳の会社が大拡張され、克巳の世話で辰五郎もその工場に行くこととなった。ジュンも昼間働きながら夜間高校に行くようになった。克巳もこの一家の喜びがわがことのように思えてならなかった。石黒家は久し振りの笑い声でいっぱいだった。  (goo映画案内より)

<データ>
「キューポラのある街」のDVD購入↓

「キューポラのある街」のDVDレンタル↓

iconicon

制作:1962年 日活
監督:浦山桐郎 
原作 :早船ちよ
出演:東野英治郎-石黒辰五郎(鋳造工)
杉山徳子-トミ(妻)
    吉永小百合-ジュン(長女・中学三年)
    市川好郎-タカユキ(長男・小学六年)
    鈴木光子-金山ヨシエ(ジュンの友達)
    森坂秀樹-サンキチ(タカユキの友達)
    浜村純-父
    菅井きん-母美代
    浜田光夫-塚本克巳(鋳造工)

・早船ちよの原作を「豚と軍艦」の今村昌平と、その門下にあった浦山桐郎が共同で脚色、
監督した社会ドラマ。撮影は「ずらり俺たちゃ用心棒」の姫田真佐久。

本「キューポラのある街」 著:早船 ちよ 講談社
「キューポラのある街」の原作本購入↓

参考:史上最年少のブルーリボン賞
  当時18歳の吉永小百合は、 本作で史上最年少のブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。また、 日活映画を支えたベテラン陣の助演にも注目したい作品。浦山桐郎監督のデビュー作でもある。

参考:キューポラと川口
  埼玉県川口市は鋳物の街である。「キューポラ」とは、鋳物をつくるために鉄を溶かす溶銑炉のことだ。鋳物工場の屋根から飛び出た煙突があちらこちらで煙をたなびかせている。川口の今は"キューポラの街"に高層マンション林立”

参考:著者 早船 ちよ(はやふね ちよ)
(大正3年(1914年)7月25日 - 平成17年(2005年)10月8日)は日本の小説家。岐阜県高山市出身。高山女子高等小卒。地元新聞社社員、看護婦見習などを経て、1933(昭和8)年上京。当時の生活綴方(つづりかた)運動に携わっていた評論家の故井野川潔(いのがわ・きよし)氏と結婚、小説を書き始めた。 1944年、埼玉県に疎開。61年に鋳物工場の町・川口を舞台にたくましく生きる少年少女を描いた小説「キューポラのある街」を出版した。同作は日本児童文学者協会賞などを受賞し、吉永小百合さん主演で映画化され幅広いファンを得た。また、井野川氏らと「児童文化の会」を結成、子供のための文化運動も続けてきたが、1989年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、以後療養生活を送っていた。作品は他に、自伝的6部作「ちさ・女の歴史」、「トーキョー夢の島」、「ポンのヒッチハイク」等多数の作品がある。2005年に老衰のため、神奈川県湯河原町の病院で死去。享年91。「キューポラのある街」は、昭和34年から35年にかけて雑誌『母と子』に連載され、翌36年単行本になった。

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい

◇◇また貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月23日 (金)

NO.13「ガンジー」

「ガンジー」

iconicon

<元気コメント>
  非暴力、断食、暴力を恐れない行動等、不正に対しては身を削ってでも信念を貫くという人間の理想を追い求める姿に感動し、生きることの喜びを与えてくれました。   

<あらすじ>
  南アフリカ、1893年。皮膚の浅黒い一人の青年紳士が列車の一等車に乗っていたため放り出された。この人種差別に、青年は激しい怒りを覚えた。青年の名はモハンダス・K・ガンジー(ベン・キングズレー)。ロンドンで学んだ彼は、インド人商社の顧問弁護士として南アフリカのダーバンへ渡って来たのだ。彼はインド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱する。そんな彼を支援するイギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)と、取材にあたる『ニューヨーク・タイムズ』の記者ウォーカー(マーティン・シーン)。ガンジーは暴力をいっさい用いずに闘うことを信条とし、"生涯禁欲"の誓いを立て、アシュラム (共同農園)を建設。彼の差別反対闘争にインド人労働者たちも次第に結束し始めた。1915年ボンベイに戻ったガンジーはインド国民から英雄として迎えられた。当時、インドの指導的立場にある人々は、イギリスからの独立を願っており、彼らの中には、後に首相となるネール(ロシャン・セス)もいた。ガンジーはイギリス支配下にある祖国をつぶさに見て歩き、チャンパランという寒村では、小作人の権利を守るため地主と闘い逮捕された。イギリスは言論、思想、集会の自由を抑圧した法律を第一次大戦後のインドに適用したため、ガンジーは1919年4月6日を全国民の祈りと断食の日とし、ストライキを呼びかけた。ガンジーは逮捕されたが、今や"マハトマ(偉大なる魂)"と呼ばれ、全国民の精神的支柱となった彼を裁判にかけることは不可能だった。だが、この騒動の際中に、イギリスのダイヤー将軍(エドワード・フォックス)率いる軍隊が、アムリツァールの公園で集会中の群衆に発砲し1516人の死傷者を出すという事件が起こった。2年後、ガンジーは、英国製の衣類を焼くように呼びかけるなどイギリスに抵抗するが、国民のイギリスに対する不満は、流血の暴動となって現われた。これを嘆いたガンジーは断食で無言の説得を行ない鎮静させる。その直後ガンジーはイギリスに対する非協力で逮捕され、6年の刑で投獄された。だが、判事のブルームフィールド(トレヴァー・ハワード)は、ガンジーに同情的だった。数年後、ガンジーは、イギリス人が独占していた製塩事業に対抗するため、民衆と共にダンディーの海岸へ向けて"塩の大行進"を決行。インド人による製塩所を設立したが、軌道に乗った頃にイギリス軍に取り上げられ、無抵抗の民衆は容赦なく殴打され、ガンジーは逮捕された。1931年、釈放されたガンジーはアーウィン卿(ジョン・ギールグッド)と交渉の結果、ロンドンの円卓会議に出席したが、独立は勝ち取れなかった。やがて第二次大戦が勃発。戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容された。その彼を、『ライフ』の女性記者バーク=ホワイト(キャンディス・バーゲン)がカメラに撮り続けた。独立を目前にしたインドだったが、回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、1947年8月、アリ・ジンナー(A・パダムゼ)を指導者としてパキスタンを建国。そのため、国境を中心として両教徒の間で衝突が激化、内戦状態になった。これを悲しんだガンジーは、カルカッタで断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功した。1948年1月30日。マハトマ・ガンジーは、デリーで夕べの祈りをしている時、ヒンズー教極右派のヴィナヤク・N・ゴードセーによって暗殺された。時にガンジー78歳。葬儀には250万を越える人々が集まり、遺灰は聖なるガンジス川に流された。 (goo映画案内より)

<データ>
「ガンジー」(GANDHI)
 制作:1992年 イギリス・インド コロンビア配給
 監督 : リチャード・アッテンボロー(Richard Attenborough)
 出演:ベン・キングズレー(Ben Kingsley)-マハトマ・ガンジー
    キャンディス・バーゲン(Candice Bergen)-マーガレット
     エドワード・フォックス(Edward Fox )-ダイヤー将軍
     ジョン・ギールグッド(John Gielgud)-アーウィン卿
     トレヴァー・ハワード(Trevor Howard)-ブルームフィールド判事
     ジョン・ミルズ(John Mills)ー総督
     マーティン・シーン(Martin Sheen)-ウォーカー

・ インド独立運動の指導者"偉大なる魂"マハトマ・ガンジーの波瀾に満ちた生涯を描く。制作・監督は「マジック」のリチャード・アッテンボロー、エキュゼクティヴ・プロデューサーはマイケル・スタンレー・エヴァンス、脚本はジョン・ブライレー、撮影はビリー・ウィリアムスとロニー・テイラー、音楽は「大地のうた」他、サタジット・レイ監督とのコンビで知られるインドの代表的音楽家ラヴィ・シャンカール。イーストマンカラー、シネスコサイズ

「ガンジー」のDVD購入↓

「ガンジー」のDVDレンタル↓

iconicon

参考:ガンジー
 モハンダス・カラムチャンド・ガンディー
 (Mohandas Karamchand Gandhi、1869年10月2日 - 1948年1月30日)
は、マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)として知られるインド独立の父、宗教家、政治指導者。「マハトマ(マハートマー)」は「偉大なる魂」の意味の尊称である。カースト制度の最下層である「不可触民」の制度の撤廃でも知られる。日本では、メディアを中心に「ガンジー」と呼ばれるが、正確には「ガンディー(ガーンディー)」である。 また1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、本人が固辞したため、受賞には至っていない。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

参考:非暴力の思想
 ガンジーの哲学、サティーヤとアヒンサーの思想は、『バガヴァッド・ギーター』、ヒンドゥー教、ジャイナ教、そしてレオ・トルストイの平和主義(「神の国は汝のうちにあり」)に影響されている。非暴力(アヒンサー)という概念はインド宗教史上長い歴史を持ち、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の伝統において何度もよみがえった。自らの思想と生き方を、ガンジーは自伝 (『ガンジー自伝』原題 The Story of My Experients with Truth) の中で語り、「『目には目を』が全世界を盲目にしている」と述べた。こうした信条を実行に移すとき、彼は極限まで論理的につきつめることを辞さなかった。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

「ガンジー自伝」の本購入↓

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい

◇◇また貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月16日 (金)

NO.12「学校」

「学校」(がっこう)

iconicon

<元気コメント>

 

  この映画は、学校というのは誰でも勉強をしたい者が来る場所であり、人間の幸福についても語り合える場であることを教えてくれました。新しい知識・技能の修得に挫折しそうになった時、今の自分は不幸なのではないかと考えさせられた時、この映画は元気づけてくれました。

<あらすじ>

 

下町の一角にある夜間中学の教師・黒井は、卒業式も近づいたある日、卒業記念文集のための作文の授業を行う。原稿用紙にそれぞれの思いを綴る様々な職業、年齢の生徒たちの横顔を見ながら、黒井は彼らとの思い出を振り返る。孫もいる年になって入学してきた在日韓国人の女性・オモニ。髪の毛を染めたツッパリ少女・みどり。昼間は肉体労働に励む少年・カズ。父は中国人、母は日本人で五年前に中国から移住してきた青年・張。自閉症で登校拒否児だったえり子……。やがて給食の時間に、クラスの一員・イノさんが死んだという悲しい知らせが届く。突然の訃報に悲しむ黒井と生徒たちは、食後のホームルームの時間、イノさんの思い出を語り始める。不幸な生い立ちとその後の苦労、田島先生への恋心。そして突然病に倒れ、故郷の山形へ帰ったきり帰らぬ人となったこと。イノさんの人生を語り合ううち、いつしか黒井と生徒たちは人間の幸福について話し合うようになっていった。生徒と先生が汗を流して語り合う、これこそ授業だと確信する黒井先生に応えるかのように、えり子が、自分も夜間学校の先生になる、そしてこの場所に戻ってくる、と決意を語る。外はいつしか雪になっていた。(goo映画案内より)

<データ>

「学校」

制作:1993年  松竹

監督:山田 洋次(ヤマダ ヨウジ)

出演:西田 敏行(ニシダ トシユキ)-黒井先生

   竹下 景子(タケシタ ケイコ)-田島先生

   萩原 聖人(ハギワラ マサト)-カズ

   中江 有里(ナカエ ユリ)-えり子

   新屋 英子(シンヤ エイコ)-オモニ

   裕木 奈江(ユウキ ナエ)みどり

   田中 邦衛(タナカ クニエ)イノ

・東京・下町にある夜間中学校を舞台に、様々な境遇を持つ生徒たちと先生との交流を描くドラマ。監督・脚本は「男はつらいよ 寅次郎の青春」の山田洋次で、彼の十五年来暖めていた企画の映画化。脚本は山田と「スペインからの手紙 ベンポスタの子どもたち」の朝間義隆の共同。撮影は「男はつらいよ 寅次郎の青春」の高羽哲夫と「夢の女」の長沼六男の共同。キネマ旬報ベストテン第六位

「学校」のDVD購入 ↓

「学校」のDVDレンタル↓

iconicon

参考:イノさん(猪田)のモデルは実在の井上という生徒

 下敷きになったのは、松崎運之助(みちのすけ)『青春夜間中学界隈』(教育史料出版会、1985年)である。イノさん(猪田)のモデルは実在の井上という生徒であり、映画のエピソード(競馬の話、医学部生に夜間中学を紹介された話、急病で死去した話など)もほぼ事実である。この映画によって夜間中学校は一挙に知名度が高まった。(フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)より)

本『青春 夜間中学界隈』の購入↓

参考:夜間中学校

夜間中学の歴史、夜間中学の現状

夜間中学校の歴史

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい

◇◇また貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年12月 9日 (金)

NO.11「大いなる勇者」

大いなる勇者(おおいなるゆうしゃ)JEREMIAH JOHNSON

iconicon

<元気コメント>
 山を新たな生活の場に生きようと思った男が、言葉の通じないインディアンを妻に、また開拓一家をほとんどインディアンに皆殺しにされ気が狂った母親から押しつけられた口がきけない子供を引き連れて、やがて安住の地を得る。だが、全てを失った彼の生きる道は・・・。
→野性的な世界でも最後に頼るものは自分、最後に求めるものは家族の温かみであることを刻み付けられ、無為な生活を送っていた自分を励ましてくれました。

<あらすじ>
  1850年代のアメリカ。急速に発達する文明に背を向けた青年ジェレミア・ジョンソン(ロバート・レッドフォード)は猟師になろうと決心してロッキー山脈に向かった。やがて厳しい冬を迎えたある日、雪の中で凍死している男を発見した。そのそばに残された遺書には、自分を発見した者にはライフルを譲るとしたためられていた。思わぬ拾い物に元気づけられたジョンソンに、もう1つ幸運が訪れた。ベテランの山男クリス・ラップ(ウィル・ギア)と出会い、彼について、山で生き残るための技術や知識を身につけることができた。クリスと別れたジョンソンは、まずインディアンたちとの間に誠意ある交易関係を確立した。その中にはクロウ族インディアンの赤シャツもいた。開拓者の小屋のそばで、インディアンによる白人虐殺を見たのはそんな頃であった。すでに息絶えている2人の子供のまわりを気が触れたようにうろつく白人の女(アリン・アン・マクレリー)がいた。ジョンソンはしかたなく、生き残ったが惨劇のショックで口のきけなくなった少年を連れ、引き返した。少年にはキャレブ(ジョシュ・アルビー)と名をつけた。翌日、インディアンに襲われた男デル・ギュー(ステファン・ギーラッシュ)を助けたことによって、開拓者一家惨殺の犯人を知ったジョンソンは、追跡を開始した。夜になって、目指す敵のキャンプを発見したジョンソンは犯人を殺した。翌朝、出会ったフラットヘッド族は平和を愛するインディアンだったが、ジョンソンが引いている3頭の馬がブラックフィトのものだと知ると、宿敵を倒してくれた2人に敬愛の情を示し、酋長は返札として、気品と美しさにあふれた娘スワン(デル・ボルトン)を贈った。スワンとキャレブとジョンソンの平和な生活が続いた。冬も深まった頃、ある白人開拓者の馬車が川の中で凍りついてしまったのを探して救い出すため、騎兵隊がジョンソンの助力を求めにやってきた。捜索は困難をきわめた。目的地に着くためにはクロウ族の死体埋葬区域を通らなければならない。ここはクロウ族にとって何よりも神聖な場所で、無神経に踏みこむのは危険だったが、開拓者を助けるためにちゅうちょできなかった。ジョンソンは胸騒ぎを覚え、その足ですぐ家にひき返した。しかし、ひと足遅く、スワンとキャレブはクロウ族に殺されていた。聖地を犯したことが彼らの怒りにふれたのだ。ジョンソンの体内にはどす黒い憤りがわいていた。彼の復讐が始まった。やがて"クロウ族殺し"の異名をつけられる程に恐れられるようになった。死んだ子供たちのそばに住む気の触れた女に肉をやろうと訪れたが、女はすでに死んで、埋葬した墓のそばには、クロウ族によってジョンソンの墓が用意されてあった。墓を被う生皮には、ジョンソンがインディアンたちと戦う姿が描かれてあったが、それは彼がすでに死んだことを意味するのか、永遠に不死身であることを意味するのかはわからなかった。はっきりしているのは、クロウ族との戦いがこれで終わったことだ。ひとつの山を越えて、いまジェレミア・ジョンソンは彼の前に立ちはだかるけわしい山に登り始めていた。(goo映画案内より)

<データ>
大いなる勇者
iconicon

制作:1972年 アメリカ ワーナー映画配給
監督: シドニー・ポラック(Sydney Pollack)
原作 : 「クロウ族殺し」 著:レイモンド・ソープ(Raymond W. Thorp)/  ロバート・バンカー(Robert
Bunker)
出演:ロバート・レッドフォード(Robert Redford-Jeremiah_Johnson)
    ウィル・ギア(Will Geer-Bear_Claw)
    ステファン・ギーラッシュ(Stefan Gierasch-Del_Gue)
    アリン・アン・マクレリー(Allyn Ann McLerie-Crazy_Woman)
    ジョシュ・アルビー(Josh Albee-Caleb)

  ・ 1850年代。文明に背を向け、ロッキー山脈の自然の中で暮らすジェレマイア・ジョンソン(ロバート・レッドフォード)の伝説を描いた作品。シドニー・ポラック監督とレッドフォードの名コンビが広大な自然を背景に、ひとりの男の生き様を丁寧なタッチで描いている。 前半はジェレマイアと大自然の中に生きる人たちとの交流を描いており牧歌的な雰囲気が心地よいものの、後半は一転して助けた少年キャレプと愛した娘スワンをクロー族に殺され、復讐を遂げるジェレマイアの姿が描かれており、そのギャップには驚かされる。 ユタ州に大規模なロケーションを行った本作は、デューク・キャラハンのみごとな撮影が、見る者を大自然へと誘う。出演者の中では、ジェレマイアに自然の掟を教えるベア・クロー(ウィル・ギア)の存在がおおらかな笑いを誘い秀逸。(Amazon.co.jpの解説より)

参考:ロバート・レッドフォード
Robert Redford(1937年-) 映画俳優、映画監督、製作、製作総指揮。1937年8月18日アメリカ・カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。『スティング』The Sting(1973年)でアカデミー賞主演男優賞ノミネート、『普通の人々』Ordinary People(1980年)で監督賞受賞、『クイズ・ショウ』Quiz Show(1994年)で監督賞ノミネート、ほか受賞・ノミネート多数。1985年、サンダンス・インスティテュートを創設・主宰、若手・独立系映画製作者を支援する映画祭「サンダンス映画祭」をはじめる。この「サンダンス」は映画『明日に向って撃て!』Butch Cassidy and the Sundance Kid(ジョージ・ロイ・ヒル監督、1969年)でレッドフォードが演じた役サンダンス・キッドから。
■主な出演作
 雨のニューオリンズ(1966)、サンセット物語(1966)、戦場はどこだ!(1966)、逃亡地帯(1966)、裸足で散歩(1967)、明日に向って撃て!(1969)、白銀のレーサー(1969)、夕陽に向って走れ(1969) 、お前と俺(1970) 、大いなる勇者(1972)、候補者ビル・マッケイ(1972)、ホット・ロック(1972)、スティング(1973)、追憶(1973)、華麗なるギャツビー(1974)、華麗なるヒコーキ野郎(1975)、コンドル(1975)、大統領の陰謀(1976) 、遠すぎた橋(1977)、出逢い(1979)、ブルベイカー(1980) 、ナチュラル(1984) 、愛と哀しみの果て(1985)、夜霧のマンハッタン(1986)、ハバナ(1990)、スニカーズ(1992)、幸福の条件(1993) 、アンカーウーマン(1996)、モンタナの風に抱かれて(1998)、ラスト・キャッスル(2001) 、スパイ・ゲーム(2001)、二重誘拐(2004)
■主な監督作
 普通の人々(1980) 、ミラグロ奇跡の地(1988)、リバー・ランズ・スルー・イット(1992)、クイズ・ショウ(1994)、モンタナの風に抱かれて(1998)、バガー・ヴァンスの伝説(2000)  (はてなダイヤリーより)

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい

◇◇また貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年12月 2日 (金)

NO.10「おろしや国酔夢譚」

おろしや国酔夢譚(おろしゃこくすいむたん)

iconicon

<元気コメント>
 現代にあっては漂流をしてしまうことなどめったにないでしょう。ですが、遠く故郷を離れて異文化に接する、いや接さざるを得なくて悩む時はあるのではないでしょう。そんな時この映画は元気付けてくれました。

<あらすじ>
 1782年、伊勢出帆後に難破した光太夫らは、9カ月後に北の果てカムチャッカに漂着する。生き残ったわずか6名の日本人は、帰郷への手立てを探るためにオホーツク、ヤクー
ツク、イルクーツクと世界で最も厳しい寒さと戦いながらシベリアを転々とするが、土地で数奇な運命に翻弄される。そして、凍傷で片足切断した庄蔵は日系ロシア人のタチアナに手を引かれるようにキリシタンとなり帰化、若い新蔵はロシア女ニーナと恋におち姿を消した。一方、光太夫は学者ラックスマンを通じ、初めて見る文化に強い衝撃を覚え、この感動を故国へ伝えたいと帰国への執念をなお燃やすのだった。そして、最後の望みを賭け、エカテリーナ二世への直訴を決意、首都ペテルブルグに向かった。ラックスマン、ベズボロドコ伯爵、女王側近ソフィアの協力を得て、ついに光太夫の熱い想いは女帝の心に通じ、光太夫、小市、磯吉わずか3人だが、1792年、実に9年9カ月ぶりに帰国を果たし根室へ着く。だが、鎖国中の幕府は彼らを迎え入れようとはせず、小市は病死、光太夫、磯吉も上府、雉子橋外の厩舎に留置されるが、やがて松平定信のはからいで光太夫は幽閉という扱いで、迎え入れられることになるのだった。(goo映画案内より)

<データ>
「おろしや国酔夢譚」
制作:1992年 東宝 
監督:佐藤純彌(さとう じゅんや)
出演:緒形拳-大黒屋光太夫
    オレグ・ヤンコフスキー(Oleg Yankovsky)―ラックスマン
    川谷拓三-小市
    三谷昇-九右衛門
    西田敏行-庄蔵
    ユーリー・サローミン-ベスボロドコ伯爵
    マリナ・ヴラディ(Marina Vlady)-エカテリーナ二世
    江守徹-松平定信
    沖田浩之-新蔵

・ 鎖国日本にあって、広大なシベリア大陸を走り抜けた日本人の冒険記を描いた井上靖原作の映画化。脚本・監督は「敦煌」の佐藤純彌。共同脚本は「必殺4 恨みはらします」の野上龍雄と「タイガースメモリアルクラブバンド ぼくと、ぼくらの夏」の神波史男。撮影は「マリアの胃袋」の長沼六男がそれぞれ担当

原作:「おろしや国酔夢譚」著:井上靖 徳間文庫

参考:井上靖
(いのうえやすし、1907年5月6日 - 1991年1月29日、明治40 - 平成3)は、作家、詩人。北海道旭川市出身。育ちは静岡県伊豆湯ヶ島と沼津市。九州帝国大学法学部英文科中退。京都帝国大学文学部哲学科卒業。毎日新聞学芸部記者を経て作家になる。1950年、『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。代表作に、『天平の甍』『しろんば』『孔子』など。

受賞歴
1950年 『闘牛』で第22回芥川賞
1958年 『天平の甍』で芸術選奨文部大臣賞
1959年 『氷壁』で芸術院賞
1960年 『敦煌』『楼蘭』で毎日芸術大賞
1961年 『淀どの日記』で第12回野間文芸賞
1964年 『風濤』で第15回読売文学賞
1969年 『おろしや国酔夢譚』で第1回日本文学大賞
     ポルトガル・インファンテ・ヘンリッケ勲章
1976年 文化勲章
1981年 NHK放送文化賞
     仏教文化賞
     『本覚坊遺文』で日本文学大賞
1985年 朝日賞
1989年 『孔子』で第42回野間文芸賞
・その他の映画化された作品
風林火山(1969年東宝 監督:稲垣浩)
天平の甍(1980年東宝 監督:熊井啓)
敦煌(1988年 監督:佐藤純彌)
千利休 本覺坊遺文(1989年東宝 監督:熊井啓)
井上靖記念館 北海道旭川市 
井上靖文学館 静岡県駿東郡長泉町クレマチスの丘
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

参考:エカテリーナ二世
エカチェリーナ2世(Екатерина II Алексеевна ; Ekaterina II Alekseevna, 1729年5月2日 - 1796年11月6日, 在位1762年 - 1796年)はロマノフ朝第8代ロシア皇帝。夫はピョートル3世。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝と称される。エカテリーナとも表記される。英語ではキャサリンという。
結婚/1745年、第10代ロシア皇帝エリザベータの甥でロシア皇太子でもあったホルシュタイン大公ピョートルと結婚した。ピョートルは母方の遠縁に当る。ロシア正教に改宗して名もエカチェリーナと改めた。1762年にエリザベータが死去すると、夫ピョートルはロシア皇帝に即位、エカチェリーナもロシア皇后となった。2人はドイツで育ったためロシア文化に不慣れであったが、エカチェリーナは努力してロシア語に上達するなど、ロシア貴族の人気を得ていた。
クーデター/夫ピョートルはプロイセン国王フリードリヒ2世の信望者で、皇太子時代からエリザベータと対立するなどロシア貴族に不人気で、ロシアの習慣にも全く馴染もうとしなかった。特に七年戦争ではロシア軍がプロイセン領内に侵攻し、フリードリヒ2世を追い詰めていたのに、ピョートルの即位によっていきなり和約を結んだことはロシアでは不評だった。1762年7月、エカチェリーナ皇后は、近衛部隊やロシア正教会の支持を得て在位6ヶ月のピョートルを幽閉すると、自ら女帝に即位した。1週間後軟禁中のピョートルが監視の近衛兵に殺される。エカチェリーナ2世は自身の関与を否定したが、真相は不明である。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

◆◆この映画をご覧になった方は感想をお寄せ下さい

◇◇また貴方のご覧になった他の<元気の出た映画・ドラマ>をご紹介して下さい

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2005年11月 | トップページ | 2006年1月 »